トップページ原爆の絵黒い雨が激しく降り始めて急に寒くなり、負傷した人は寄り添って電車の中で雨をしのいだ。
識別コード | NG056 |
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絵の内容 | 黒い雨が激しく降り始めて急に寒くなり、負傷した人は寄り添って電車の中で雨をしのいだ。 |
作者名(カナ) | 森冨 茂雄(モリトミ シゲオ) |
作者名(英語) | MORITOMI Shigeo |
当時の年齢 | 15歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)10:00~10:30頃 |
情景場所 | 天満町己斐方面行電停付近 |
情景場所旧町名 | 天満町 |
情景場所現町名 | 天満町 |
爆心地からの距離 | 1,300m |
ブロック別 | 十日市・中広地区 |
作者による説明 | **絵の中 防火用水 天満町電停附近 思い出して五十六年 森冨茂雄 2002.4.30 当時の住所は□□□□□□□で現在の□□□□□□です。当日朝六時半に自宅を出て学徒動員(中学三年生)で三菱観音工場に出ていましたが当日は機械を疎開する為に六日の日は己斐の小学校の上の谷間に八棟の工場を移動建設中なので己斐分工場に八時前に出勤しました。朝礼後しばらくして八時十五分頃ピカと閃光後ドンと大きな音で猛烈な爆風で工場はつぶれました。機械のすき間からはいでて見ると八棟の工場はほとんどつぶれガラスの破片等で多くの負傷者が出ていました。さいわい私は軽傷ですみました。すぐ退社は出来ず下の方面から黒煙が猛烈な生きをいで上っていました。元気な者だけ九時半頃退社許可が出て近くの同級生の菅野君(本通り)其の他上級生ら三十人ぐらいで隊列を組んで己斐橋を渡って各人それぞれ自宅の方にわかれました。天満町の電停まで進むと火災がはげしく前に進めません。しばらくすると黒い雨が激しく降り気温が急に低く寒いぐらいになり負傷者の人は背中を合せ電車の中でしのいで居ました。火傷の為火災で暖を取ることがひりひりするので出きず私達はびしょぬれの服を家の火災で乾しました。土橋方面より市立中学及女学生の生徒が負傷者が多く皮がぶらぶらでゆうれいのやうに手を前に出して己斐郊外に避難して行きました。女生徒はモンペが破れた為ムシロを腰に巻いて避難して行きました。此れ以上の事は土橋、十日市、左官町、相生橋、紙屋町、方面の事は地獄絵のやうで書けません。私の家族は五人当日に亡くなりました。当日中心部で相った知合の人は全員六日から十五日頃まで菅野君二十年前頃に亡くなりました。 **裏 森冨茂雄 |
サイズ(cm) | 27.3×38.2 |
展示の説明文 |