トップページ原爆の絵負傷し、逃れてくる多くの人々。全身に血を浴び、あごに空き缶をぶら下げ、歩いていた2人。
識別コード | NG043 |
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絵の内容 | 負傷し、逃れてくる多くの人々。全身に血を浴び、あごに空き缶をぶら下げ、歩いていた2人。 |
作者名(カナ) | 森瀧 澄香(モリタキ スミカ) |
作者名(英語) | Sumika Moritaki |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/7 |
情景場所 | 備後十日市駅(現在の三次駅) |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 58,000m |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 びんご十日市驛 びんご十日市えき **別紙 昭和20年頃の女学生は、上級生は、呉、広の工場で、下級生は学校の工場、山の開墾 農家の手伝いであった。当時私は14才の女学生で、8月6日は、三次、四十貫の山の中へ工場が出来るのでその作業に行く途中、ピカッ、ドドッと地ひびきがした(後に原爆)8月7日の翌日十日市駅(今の三次駅)辺りはひどい焼どう人が続々と町の方へ向っていると聞き、私達も、我れも我れもと先を争って駅へ向う その途中2列や3列の横体になりゆっくりゆっくりまるでアリの行列の如くこちらに向っている行列と出会った。それはそれは、大変な方々の姿であった。駅の中も大勢の焼どう、怪我の人々でごった返しその中でも2名の男性は全身に血をあび、あごには缶詰の空缶を口もとへぶら下げよろよろしておられた(後に、三次方面へは歩ける人のみ送られた。)あれから56年たった今でも鮮かにおぼえている。昨日、4月29日やっと絵を描く事に決たものの絵の具も色鉛筆も全ったく見当らず略画にて失礼します。 森瀧澄香(71才元小教員) |
サイズ(cm) | 39.8×27.4 |
展示の説明文 | 負傷し、逃れてくる多くの人々。その中の二人の男性は、全身に血を浴び、吐き気がするのか、あごには缶詰の空き缶をぶら下げ、よろめきながら歩いていた。 絵/森瀧澄香氏 1945(昭和20)年8月7日 爆心地から約58km 備後十日市駅(現在の三次駅) |