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トップページ原爆の絵倒れた家の屋根の下敷きになった子どもを助けてほしいと女性に頼まれるがどうすることもできなかった。

原爆の絵

識別コード NG039-01
絵の内容 倒れた家の屋根の下敷きになった子どもを助けてほしいと女性に頼まれるがどうすることもできなかった。
作者名(カナ) 百々 和子(ドド カズコ)
作者名(英語) Kazuko Dodo
当時の年齢 15歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)8:35頃
情景場所 栄橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,510m
ブロック別 銀山・幟地区
作者による説明 **絵の中
栄橋
**別紙
百々和子
私は学徒動員生で広島駅前郵便局内で被爆しました
外に出て見るとどの家もゝも柱や梁がぐちゃゝに倒壊して屋根が其の上に乗かって地面にたたきつけられて低くなって家が座っている様に感じられたのにはただゝおどろきました
ビルの中はめちゃゝになり窓わく等はなくなっていました。
気がついて見たらそこは榮橋(大須賀町)の所に来ていました
絵は小母さんが私の手をひっぱって「あんたらーこの屋根の中にうちの子供がおるんじゃけぇー 出してぇーやぁー たのむけぇー」と何度も私の手をひっぱられましたが私らはどうしてもあげる事も出来ず悪いとは思いつヽ振りきってそこを逃げました
今でもその情景は心に焼きついて悔恨の念にかられます
北に向って帰ろうとして見たら画面の右肩の様に饒津神社はもう、もうゝと燃えさかっていた
八時三十五分の頃でした。
道は瓦礫でがたゝ、人は髪は逆立ち、ちりゝになり服はボロゝに破れ灰だらけで皆んなはだし、手はぶらさげて、やけどをした人は顔が目が見えるのかしら、体ははれるだけはれて、皮は、ゴム風船を張りつけたようにはれている。ただあてどもなく、ゆっくりと歩いていた
画面の左方は駅前郵便局と、国鉄の電務区のビルです
所は、松原町で爆心地より千八百米のところでした
追伸
被爆四十年ヒロシマの手記「いつまでも絶えることなく」にも62頁に出させて戴きました。その状況を絵にしました。
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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