menu

トップページ原爆の絵朝日を空一杯にしたような火の玉を見た。我に返ったときは自分の机の下にいた。

原爆の絵

識別コード NG026-01
絵の内容 朝日を空一杯にしたような火の玉を見た。我に返ったときは自分の机の下にいた。
作者名(カナ) 村田 サワエ(ムラタ サワエ)
作者名(英語) Sawae Murata
当時の年齢 21歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)8:15
情景場所 三菱重工業第20製作所
情景場所旧町名 安佐郡祇園町
情景場所現町名 広島市安佐南区祇園三丁目
爆心地からの距離 5,500m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
(昭和20年8月6日8時15分三菱本事務所にて)
思はず立ち上がり見たものは朝日を空一杯にした火の玉できれいに見えたと思いますが我れに返った時は自分の机の下におりました。立ち上り見たら机の上はガラスが一杯散乱してゐました。寮へ帰へらなくってはと思い裏口の方へ出掛けましたら第2の爆風が来ましたので思はず保管庫のうしろへシャガミ込みました。裏の出口へ行きましたら事務所の皆さんも出ようとしておられました 間をくぐって出ようとしましたら「今出たら危ない!!」と男の方の声を背に寮へ急ぎましたが外は灰かぐらの様に砂が舞い上ってゐました。寮へ帰へり驚ろきました。私は隣の工場へ爆弾が落ちたものと思ってたのですが、なんと紙屋町の方へ今迄に聞いた事もない大きな爆弾が落ちたのだと云ってゐます。これは大変な事です。会社の大勢の方が家屋そかいの為にお手伝に行かれてゐるのです。寮生も行ってゐます・・・
(私は絵が下手ですのでごめんなさい。書き方、頭の中では解ってゐても絵として書けません。皆大きな爆音がしたと云いますけど私は覚えておりません)
**別紙
あれから早やくも五十数年而し我々には昨日の如くに忘れ得ぬピカドンです。当時若い娘は軍需工場へ動員令状をもらって行っておりました。私達は祇園の三菱へ勤務しておりました。その朝も警戒警報も解除となり事務所へ戻り仕事を始めようと思った時の事・・・思はず立ち上りガラス窓に向っており見たのが大きな火の玉丁度朝日が空一杯になった様きれいな光を見ましたが気がついた時は自分の机の下におりました。立ち上り見ると机の上はガラスが一杯散乱しておりました。私は寮生だったので寮へ帰へらなくってはなりません。裏口から出ようと思い行きましたら事務所の皆さん集っておりましたその中をくぐって出ようとしましたら、男の方の声で「今出たら危い!!」と聞こえましたがその声を背に外へ出ましたら、まるで灰をかき廻したような中を寮へ急いで帰へりました。私はとなりの油谷工場へ爆弾が落ちたものと思っておりましたが、紙屋町の方へ今までにない大きな爆弾が落ちたらしいと聞き驚ろきました。大変です寮生や会社の方大勢家屋そかいの為手伝いに行ってゐるのです。そのうち会社の体育館へ大勢の被爆者の方ぞろゝと・・それこそ白い包帯に身をまかれたり、首から手をつり下げたり髪はザンバラ、着衣はボロゝ思はず身がすくみました。翌日は会社の庭に大くの遺体がムシロを掛けられ並べてありました。私は一人づつムシロをめくり寮生や事務所の方をさがして歩きましたら、机を並べて仕事をしてゐた挺身隊で来てゐた女学生を一人見つけました。紫色になり顔はムクレ上がり本当に可愛相でした。会社へ帰った方も有りましたが皆終戦前後には亡くなられました。絵が下手な為、その時の事をうまく絵に出来ないのが残念でございます。頭の中にはその姿見えてゐるのですのに我れ乍らはがゆく思ってゐます。又皆さんは大きな音を聞いたと云はれますけど私は音は覚えておりません。
下手な絵ですけど一生けん命書きました。合掌
村田サワヱ
七十八才
サイズ(cm) 29.7×20.5
展示の説明文

戻る

Page Top