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トップページ原爆の絵抜けた髪の毛を持つ私。9月頃から発熱、脱毛し、眉毛まで抜けて丸坊主になる。一生涯外出できないと思い泣いた。

原爆の絵

識別コード NG025-02
絵の内容 抜けた髪の毛を持つ私。9月頃から発熱、脱毛し、眉毛まで抜けて丸坊主になる。一生涯外出できないと思い泣いた。
作者名(カナ) 原田 みどり(ハラダ ミドリ)
作者名(英語) HARADA Midori
当時の年齢 33歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/9
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
昭和二十年八月十五日の終戦から食料の配給が全くなくなりました。出汐町の家は爆風で壊れてとても住める状態ではありませんので家族と一処に私の生家に疎開しました。九月頃になって私は体調が悪くなり毎日体温が三十八度ぐらい上りました。直接被爆しているのと大勢の負傷者が死致量の被爆をしている人を毎日治療したので二次放射能を大量に吸収したためと自分では解っていました。医者は遠いし薬もないので父が新鮮な野菜を色々とすりおろして汁を飲ませてくれました、九月になってから頭の髪が抜けはじめました、束になってグスット抜けるので心細く不安で泣きました。眉毛まで抜けて丸坊主になったので一生涯外出はできないと泣きました。父がセンブリの煎じ汁は毛はえ薬になるからつけて見よと云ったので毎日つけているうちに六ヶ月ぐらいしてからウブ毛が生えてきました。嬉しかったので又泣きました。今では全体は生え方がウスイのですが柔かい毛が生えています。(抜けた髪の毛をもつ女)
自画像昭和二十年九月当時三十四才
**裏
原田みどり 90才
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』
〔作者のことばから〕抜粋
一生涯外出できないと泣きました
9月になってから頭の髪が抜けはじめました。束になってグスット抜けるので、心細く不安で泣きました。まゆ毛まで抜けて丸坊主になったので、一生涯外出できないと泣きました。父がセンブリのせんじ汁は毛はえ薬になるからつけてみよと言ったので毎日つけているうちに、6カ月ぐらいしてから産毛が生えてきました。うれしかったのでまた泣きました。
9月
原田 みどり

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