トップページ原爆の絵母と妹と3人で疎開先から父を捜しに行く。仕事場にあった白骨死体が父であろうと母子で骨を拾った。
識別コード | NG024-28 |
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絵の内容 | 母と妹と3人で疎開先から父を捜しに行く。仕事場にあった白骨死体が父であろうと母子で骨を拾った。 |
作者名(カナ) | 河野 一郎(コウノ イチロウ) |
作者名(英語) | Ichiro Kono |
当時の年齢 | 22歳 |
寄贈者名 | 芸北町原爆被爆者友の会 |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/08/08(時刻)10:00 |
情景場所 | 本川国民学校前 |
情景場所旧町名 | 鍛冶屋町 |
情景場所現町名 | 本川町一丁目 |
爆心地からの距離 | 410m |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 私は小学校四年生でした。 父は広島で仕事をしていて被爆し亡くなりました。 母と私と妹と三人で父を探しに行きましたが、消息は分かりませんでした。 父の仕事場に白骨死体があった。たぶん父のものであろうと母子で骨を拾って帰った。 |
サイズ(cm) | 27.4×39.3 |
展示の説明文 | 父であろうと白骨を拾う 爆心地から410m 本川国民学校前 鍛冶屋町(現在の本川町一丁目) 1945(昭和20)年8月8日 午前10時 挿絵/河野 一郎氏 手記/山崎 勧氏(原爆投下当時10歳) 作者の解説 私は小学校4年生だった。父は広島で仕事をしていて被爆し亡くなった。早朝、母が泣きながら仏壇を拝んでいる。「お父さんが帰ってきて3人の子どもを抱きしめて頬ずりしたところで目が覚めた。お父さんは生きていない。魂が帰ってきた。」と。母と私と妹と3人で父を捜しに行ったが、消息は分からなかった。父の仕事場に白骨死体があった。たぶん父のものであろうと母子で骨を拾って帰った。 |