トップページ原爆の絵男女の区別もつかないほどの大火傷を負い、水を求めてうめき続ける人々。
識別コード | NG016 |
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絵の内容 | 男女の区別もつかないほどの大火傷を負い、水を求めてうめき続ける人々。 |
作者名(カナ) | 原田 義久(ハラダ ヨシヒサ) |
作者名(英語) | Yoshihisa Harada |
当時の年齢 | 14歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)16:00頃 |
情景場所 | 南大橋 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 1,750m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 昭和20年8月6日元安川の「南大橋」の惨状(午後4時頃) 水 みず ミズ を下さい 助けて下さい お母さん 助けて 痛いよー タスケテ お母さん イタイヨー お母さん 助けて下さい お母さん 痛いよー お母さん 助けて **別紙 「水・・・水・・・水を下さい!」 私は学徒動員により中学二年生(14才)の時、三菱造船江波工場で働いていました。毎日自宅(尾長町、現山根町)から電車で江波に通っていました。 八月六日も作業中でした。しかし、帰りの電車はありません。仕方なく友人と三人で徒歩で帰ることにしました。 この絵は江波からの帰る途中、橋の上での惨状です。 今の「南大橋」の上だったと思います。橋の上の端から端迄、ヤケドで男女の区別がつかない人が倒れたり、かがみこんでいました。そして息も絶え絶えに、「水・水・水を下さい」と言っています。これは本当の地獄の様でした。 私は絵が下手で上手に書けませんが、その惨状の何分の一しか、表現出来ません。川には水を求めて、入って亡くなられた人の遺体が、流れていました。 原爆投下後、八時間位の生々しい絵です。 戦争は絶対にあってはなりません。 そして「原爆は二度と使用してはなりません」と痛感した次第です。 絵の場所=広島市元安川の「南大橋」の橋上 日・時 =八月六日午後四時頃 連絡先 原田義久 |
サイズ(cm) | 25×35.8 |
展示の説明文 | 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』 〔作者のことばから〕抜粋 水 みず ミズ を下さい 橋の上の端から端まで、ヤケドで男女の区別がつかない人が倒れたり、かがみこんでいました。そして息も絶え絶えに、「水・水・水を下さい」と言っています。これは本当の地獄のようでした。 8月6日 午後4時頃 1,750m/南大橋 原田 義久 |