トップページ原爆の絵焼けた路面電車の中で座ったままの黒焦げの乗客、車外に倒れて「お客さん、逃げてください」と叫ぶ運転手
識別コード | NG011 |
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絵の内容 | 焼けた路面電車の中で座ったままの黒焦げの乗客、車外に倒れて「お客さん、逃げてください」と叫ぶ運転手 |
作者名(カナ) | 児玉 冨美子(コダマ フミコ) |
作者名(英語) | Fumiko Kodama |
当時の年齢 | 20歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)9:00頃 |
情景場所 | 国泰寺 |
情景場所旧町名 | 小町 |
情景場所現町名 | 中町 |
爆心地からの距離 | 600m |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
作者による説明 | **絵の中 八月六日 朝九時頃 白神神社の楠の根で舗道が少し高くなっている 電車の運転手さんらしき人 転んで「お客さん逃げて下さい」 「お客さん逃げて下さい」 「お客さん逃げて下さい」 燃へてしまった電車の中に、自分も焼けた儘、黒いシルエットの様にずらりと座っている乗客 日本銀行広島支店 児玉冨美子畫 **別紙 原爆時、私は二十才で、小町の中国配電(今の中国電力)の本社に勤めていました。本社ビルの一階の電車道側の部屋にいて、ピカッと光ったのもドカンといふ音も知らない儘気を失っていました。気が付くと、まわりには誰もいませんでした。部屋の内が、ぼろゝと焼けだしたので、一人で逃げました。家が中広町だったので、電車道を紙屋町に向いました。その時の絵です。逃げている人もほとんどなく、電車も燃へつきていました。時計を見た記憶はなく、気を失ってた時間が長かったのでと思います。九時頃だったのでしょうか。私はビルの中だったので、ガラスの傷が頭と足にありましたが、歩くのは大丈夫でした。大手町方面は、建物疎開で家がこわされて、道は広くなっていました。白神神社の楠の樹の根で舗道が少し高くなっている所と、日本銀行広島支店の方位に電車がありました。線路上に運転手さんらしき人が転んで「お客さん逃げて下さい。」「お客さん逃げて下さい。」「お客さん逃げて下さい。」と叫んでいました。燃へて了った電車は、当時、満員電車と思ふのに、立った人は逃げたのか、中でしゃがんで倒れているのか、姿はなく座席の人が焼けた儘、黒いシルエットの様にずらりと並んで座っていました。 児玉 冨美子 七十六才 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 |