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トップページ原爆の絵呉の潜水艦司令部から見た原爆投下直後の状況、広島の方角にドーナツ型の太陽が上がっていた。

原爆の絵

識別コード NG009
絵の内容 呉の潜水艦司令部から見た原爆投下直後の状況、広島の方角にドーナツ型の太陽が上がっていた。
作者名(カナ) 岩本 悛作(イワモト シュンサク)
作者名(英語) Shunsaku Iwamoto
当時の年齢
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 呉の潜水艦司令部(第6艦隊司令部、呉軍港の西岸、若葉町)
情景場所旧町名 呉市若葉町
情景場所現町名 呉市若葉町
爆心地からの距離 17,600m
ブロック別
作者による説明 **裏
岩本悛作

**別紙
原子爆弾観察の絵 解説
 私岩本悛作は、戦時中の昭和17年から東京物理学校に通っていました。18年だったか理研の大段教授とかが原子爆弾の起爆装置の事故で殉職したと言う新聞記事があった。理科の学校で我々も基礎物理だけでなく、原子物理も習いたいの要望で数日だったが、勉強しました。
19年9月繰り上げ卒業で海軍予備学生で学徒出陣、電探技術を習得し呉の潜水艦司令部(第6監隊司令部)に赴任していた。(呉軍港の西岸・若葉町)《現在防衛庁学校になっている》8月6日当直勤務でした。8時軍艦旗掲揚後、当直員たちと協議していると窓一杯に閃光が走った。先輩たちは咄嗟に机の下に潜り込んだ。さすが歴戦の勇士たち。私は東の窓から軍港を見渡しただけで首をかしげて机に戻ったその時。爆風で椅子に(約30秒後)倒れこむ。同時に参謀長から伝声管『今のは何か?』『わかりません』見張りから『北方に爆炎が!』見張り台に駆け上ってみると北北西にドーナツ型の太陽が上がって居る。『あの雲の方位と距離を』叫んで降りた。入れ替わりに計器が上がった。しばらくして『ノース18ウエスト・1800』(北18西 1800メートル)陸上の地図が無いので海図にあたると正に広島。
その夜理科系出陣学徒の血は沸き立った。距離がわかったので分角法で爆炎の直径と絶対温度を推定し、四乗してシュテフアンーボルツマン法則で熱量と爆発エネルギーを筆算で計算した。ニトログリセリンに換算して一万トン。そんな爆弾がある筈が無いので、習った原子爆弾ではないかと考えた最初の一人ではないかと思いますが、もしそうだったら放射能が残っているかも知れんから無用の者は広島には行かないほうが。と云ったら司令から一海軍士官のデマになるからと口を封じられてしまった。
しかしトラックで要員五人が広島を通過して大竹海兵団に翌日出発して行った。被爆後の昭和62年2月この乗員の一人羽出木宗雄氏が被爆証人を探しているとの報道があり、私の記憶と一致したので証人として、申請し彼は、無事被爆手帳が入手できました。又今年平成14年1月27日岡山県放射線技師会の50周年記念式典があり、出席して私の広島原爆観測の体験をレントゲン技師たちの一部の人たちに語り聞かせました。

H14.4. 6 岩本 悛作 
サイズ(cm) 37.7×45.2
展示の説明文

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