| 識別コード | GE45-45 |
|---|---|
| 絵の内容 | 説明 |
| 作者名(カナ) | 勝田 実(カツタ ミノル) |
| 作者名(英語) | Minoru Katsuta |
| 当時の年齢 | 25歳 |
| 寄贈者名 | |
| 種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
| 情景日時 | 1945/8/9(時刻)12:00 |
| 情景場所 | |
| 情景場所旧町名 | |
| 情景場所現町名 | |
| 爆心地からの距離 | |
| ブロック別 | |
| 作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月九日、正午頃東練兵場そして矢賀を経て、戸坂国民学校に到着した。我が兵員九名ばかり御眞影奉蔵庫と、二宮金次郎の像があった記憶はあるが、校門の所在は定かでない。校舎内は勿論辺り一面重傷者で足の踏場もない。のき下にもギッシリ縄ばりしてある様は、正しく動物の姿そのものなり。校庭のかたすみに竹を組んでむしろをつるし十畳間ばかりのその中には、遺体で山の様になっている男も女も子供もそして、軍人も皆裸で、只だまつて空しく積重ねられていた。重傷者の手当は思う様に進まない。 止むなく、狂乱の如く苦しみ、水をほしがる。そして家族の名前を呼び続ける人からやっと住所、氏名を聞き、正し荷札に記し、一人一人に付けていた趣きの救援の方々の心情もさこそであったと解する。我等歩を運が得る者止むなく民家へ寄宿する様伝え聞き、半強制的に一晩お世話になり、翌朝校庭へ集合し、無人駅なる戸坂駅より臨時列車にて、四百名ばかり備後庄原行きと書いた荷札を付け、庄原国民学校に収容されたが、十日間にしておおよそ半数ばかりは空しく死んでいった。私は基町の、元陸軍幼年学校で被爆し、その兵舎の下敷きとなりほとんど全身に外傷及打撲傷を受けしが、現在も療養中である。昭和五拾年被爆参拾年を前にして 元陸軍兵長 勝田 実 |
| サイズ(cm) | 26×36 |
| 展示の説明文 |