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トップページ原爆の絵説明文

原爆の絵

識別コード GE45-42
絵の内容 説明文
作者名(カナ) 庄賀 美登(ショウガ ヨシト)
作者名(英語) Yoshito Shoga
当時の年齢 22歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時
情景場所 三篠本町
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
三篠本町南海自動車工場附近で被爆、近所のアイスキャンデ-屋に飛び込みアイスボックスのそばで家屋の下敷となり負傷をしないで助かる。脱出後の絵がNo.1で附近は電線がたれ一部藁葦の家より一部出火して居る。避難する人々がすべて黒い顔をして居りその異様さに驚く。
勤務先が大芝小学校北側に在ったが此の附近は1時過ぎ頃には火災で焼失した。黒い雨が豪雨として瞬間的に午前中あった。自宅天神町へ大芝よりの帰途は三滝川沿いに山つたいにする。
附近の竹稲その他太陽の当たって居る部分は黄色となり不思議と思いつつ進む。No.2の絵は福島川の農用木橋のそばで老人が2、3人土橋方面より避難し動けなくなって居られ弁当を差出して市内へ入る帰途立ち寄ると1人の老人は死んで居た。あの時なぜ氏名を聞かなかったかと残念に思う。
No.3は天満川沿いの榎町附近の大商家が倒壊しその下敷の人を救出して居られるすぐ近く迄に火の勢いが来て居る自分の力では如何とも出来ず私の家族のことも心配が増え、手を合わせて逃げるように市内に進む。
No.4今の西平和大橋附近は愈々火勢強く天神町に進むことも出来ぬ此の附近は旧制中学生が強制家屋撤去の作業に出た学生が川沿い又は防火水槽の水を求めて居る又私に救いを求めるが如何とも出来ない。私も家族のことを心配だが火の勢いには勝てず元来た道を帰る。
私は思う真実に悪い事をした、此の日お会いした人が生存又は亡くなられていても何卒私を許してください原爆の日が近づくにつれ年々際 私の心は苦しいのです。又一般の方々何卒原爆の日はお祭り騒動は謹しんでください靜かな祈りの日とすることが亡き人々の供養になると確心しますお願いします。

庄賀美登
サイズ(cm) 27.5×38.5
展示の説明文

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