識別コード | GE45-40 |
---|---|
絵の内容 | 説明文 |
作者名(カナ) | 河部 峯子(カワベ ミネコ) |
作者名(英語) | KAWABE Mineko |
当時の年齢 | 18歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 (四)その後、当分(何日間か記憶せず)兵器廠に近い者は防空壕に泊りに行っていた。 涼み台のような幅のせまい腰かけに重なり合って寝たような気がする。 そのうち、米、英軍が民家を襲って乱暴するとの噂か、お達しか、家々には、ボロ板を集めて、飛んでしまった建具の代りに釘づけ入口がわからない様に工夫して。 婦、女子は危ないからと、わざと汚い身なりをした方がよいと云はれて。 断水のため、20m~30m先に一ヶ所水が出ていたので毎日水運びの手伝いを強いられる生活となる 何日目かに、深夜突然呼吸困難となり、急性助膜との事 暫らく病床の身となる 毎年、毎年、忘れられないであろう 昭和20年代のいまわしい体験、その数々の中でー "戦争が終わった"と知った時の、えも云はれぬ"ほーっと"した気持ち、 もう空襲がない。夜中に兵器廠に駆けつけて行かないでいい…… かすかな喜びのわき出た事…… 広島市在住 河部 48才 **裏 2089-2 説明 河部峯子 |
サイズ(cm) | 35×25.5 |
展示の説明文 |