トップページ原爆の絵建物の下敷きになりようやく這い出すが、同僚を助け出すことができなかった
識別コード | GE45-29 |
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絵の内容 | 建物の下敷きになりようやく這い出すが、同僚を助け出すことができなかった |
作者名(カナ) | 徳富 ヨシコ(トクトミ ヨシコ) |
作者名(英語) | Yoshiko Tokutomi |
当時の年齢 | 34歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)朝 |
情景場所 | 広島市健康指導所 |
情景場所旧町名 | 大手町八丁目 |
情景場所現町名 | 大手町 |
爆心地からの距離 | 1,100m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 大手町八丁目広島市健康指導所二階建 昭和二十年八月六日朝 ほっと目がさめてまわりをさぐると暗闇で友達のうめき声「いたい」お母さんと、「いっしゅん」地獄になり「ぼうと」なんと化したかわからない。でも一才の子供が目に浮ぶ気になり早く外に出てと(もがく)も出ることができない モルタルの網の中で(もし)このまヽで火にまかれて死んだら子供がかわいそう思は府中町の状態がしりたかった 仏様のお助を待ばかり合掌し祈る 其の時目前に針ほどの光線が、さしこみ手をのばすと瓦らが取れて外界に「すくり」出るはい色の世界にようやく出られた。「うれいことは」一生忘れません。人にも呼かけたら兵隊さんが一人だけ穴から「むっく」り出られました 待てゐてもさけんでも友達は泣き声ばかり救い様がなく、後髪を引れる思で川を泳で帰ることにした 京橋川をめざして瓦のうえを歩く助けての声が三十年も胸にさヽった思いです 己斐町から妊婦手帳を受けに早朝から受付で待って居られた兵隊さん はだし 防空壕 火傷 外傷で歩かれず 七日朝白骨と友からあとで聞母子 水そう 建物の下敷でガラス傷の友達を書ます 桜井建子 桜井兄嫁 玉垣玲子 佐々木悦子 橋羽ミドリ 東比富美受付女性 八月六日八時十五分一寸前に出られた人 外出二分前被爆死亡 斉藤時子 電車中 應和時子死亡 〃 五分前 〃 松井フジノ 自転車通勤中 玉井男子死亡 徳富ヨシコ |
サイズ(cm) | 28.5×87 |
展示の説明文 |