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トップページ原爆の絵自宅の下敷になって意識不明になった母を助けてたおれた父

原爆の絵

識別コード GE45-22
絵の内容 自宅の下敷になって意識不明になった母を助けてたおれた父
作者名(カナ) 須磨 總子(総子)(スマ フサコ)
作者名(英語) Fusako Suma
当時の年齢 11歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)お昼頃
情景場所 中広町
情景場所旧町名 中広町
情景場所現町名 中広町
爆心地からの距離 1,500m
ブロック別 十日市・中広地区
作者による説明 **絵の中
家の柱が折れて屋根がドサッと落ちた後に火が廻った。

父。

苦しい。

母。

←頭を打って意識不明

8月6日

中広町の自宅前の道で倒れる

この朝は父はいつもの様に出勤をした。寺町別院電停で電車を待った。その時頭のうしろが「パッ」と明るくなって大きな音が聞えた。
それから何分過ぎたかわからない。父は自宅までどの様に歩いたかおぼえていなかった。
家の屋根が地面に落ちていた。
母の名前を呼ぶ。「トモエー」「トモエー」母の声は無かった。
父がやっと屋根下をくぐって母をさがす。
母は風呂場で洗濯水に頭をつけて倒れていた。
やっと道路まで引きずって出した、父もそのまヽ苦しくなってばったり道路に倒れた。

**裏
須磨総子
当時 三篠国民学校 6年生。
**実態調査
軍隊がすぐ打越町にテントを張って近所の病人を全部収容して下さいました。私は両親を見つけるのに時間がかヽりました。全員が顔と腹がパンゝでどれが誰れかはみんな、わかりません
サイズ(cm) 63.5×54
展示の説明文

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