識別コード | GE45-19 |
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絵の内容 | 黒こげの死体 |
作者名(カナ) | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) |
作者名(英語) | Hiroshi Yoshii |
当時の年齢 | 25歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/9 |
情景場所 | 京橋通り |
情景場所旧町名 | 橋本町 |
情景場所現町名 | 橋本町 |
爆心地からの距離 | 1,000m |
ブロック別 | 銀山・幟地区 |
作者による説明 | **絵の中 記事は裏面にあります 八月九日、京橋通り(現RCCあたり) 八月七、八、九、日三日間は妻は隣組の行方不明者二名をさがして市内収容所をあるく市内遠く江波、宇品、青崎、船越死体も見つける事が出来なかった。三十年の現在も同じこと、原爆のおそろしさを身を持って体験した。私も市内をあるくその間この目で見た地ごく絵を思い出して書いたが本当の様子は口筆では表現出来ない 眞黒こげの死体 人間の型が見とめられる程度でありその当時はもう感覚はと言う言葉はなかった。道端の石ころにかすぎない人間の死体は何百何千と見ている 三十年すぎた今日あの有様を見たら失神するだろう 地ごくから帰った夢物語りになる二度と戰爭は絶對に起してはならない。地球上から永遠に原爆を取り去らねば人類の幸福は望めない。私が広島で生活三十三年の間に得たのは戰爭の二字を取り去る事のみである **実態調査 今日は木曜早退で家に帰り、市内へ出た。まだ男女の判別もできない黒こげの死体が転っていました。被爆四日目 |
サイズ(cm) | 55×39.5 |
展示の説明文 | 市内を歩き何百という黒焦げの死体を見た 爆心地から1,000m 橋本町 1945(昭和20)年8月9日 好井 博(当時25歳、絵を描いた時 55歳) |