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トップページ原爆の絵目のまわりが青く膨れた老婆、火傷の馬、橋の上の重傷の県立広島第一中学校生徒、水をくださいと頼む人

原爆の絵

識別コード GE45-10
絵の内容 目のまわりが青く膨れた老婆、火傷の馬、橋の上の重傷の県立広島第一中学校生徒、水をくださいと頼む人
作者名(カナ) 神原 一(カンバラ ハジメ)
作者名(英語) Hajime Kambara
当時の年齢 28歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/7
情景場所 向洋から広島へ向かう街道の道端、福屋前
情景場所旧町名 安芸郡府中町、胡町
情景場所現町名 安芸郡府中町、胡町
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
S20年8月7日、午前8時半、向洋駅で下り列車は「広島駅が昨朝爆撃されたので」と、全員下車させられた。
向洋の家並の瓦は、一様にウロコを逆さなぜにした様に下方から剥がされた様だった。
我々は、異状な状況に只々驚きながら、広島へ向って歩いた。
『軍公用』の出張だった。
馬子のいない馬(背は皮膚が裂けて無惨) 顔は丁寧に包帯が巻いてあった。馬子は馬の手当をして、死んだのだろうか?この馬は向洋まで独り来たのか?
ピカッとしたらドンといってキツネ火が、眼のまわりをチカチカとまわってのー。
ヘェー?わしの眼のフチが腫れとるかいのー。
オバアさんの眼のまわりが、青ぶくれ。
向洋にて
瓦の逆なぜ
瓦がみんな浮き上がっていた
ホータイ
向洋から猿猴橋まで来て驚いた。当時、人口、四十五万の軍都、広島が一日で瓦礫野原となっている。周辺の山の緑が赤茶けている。
宇品方面だけ、家並が残っていたが、燃えているらしい。ポツンと福屋デパート、住友銀行、広島銀行のビルが残って見えるだけ。他に立っているのは、墓石と、建物の柱らしいもの。
一体B-29は一機だけだったのか?それとも、何百機かが、風の如く来たり風の如く去ったのか?同じ県下で、尾道も福山も、昨日は警戒警報だけだった。
神原 一

猿猴橋の下に、女の人が一人、うつ伏せに。爆風で吹き飛ばされたのか?肌の白と、緑のワンピースと、川にゆれる黒髪が、今でもクッキリと瞼に浮ぶ。橋上には「(旧)広島一中の生徒だ」と苦しそうに返事した生徒の一団が、顔は一様にただれて、眼や耳のフチにはウミがたまり、ウジ虫もわいていた。

母親らしい人が探しに来ていたが、誰が誰だか判らない。生徒は、みんな一言も発しない。
橋の欄干が崩れていた?
猿猴橋にて
ウミとウジ虫
この方は、その後、元気になられたろうか?我々に、水筒の水を分けてほしいと求められたけれど、焼けただれた姿の痛々しさ、(今、水を与えたら死ぬ)と思って、心を鬼にして、「水筒は空っぽです」と断った。
『体が痛うて、熱が高うて、つらいんだ』と言って、フラフラと去って行った後姿と、水欲しそうだった顔が忘れられない。とても頑丈そうな人だったが。(合掌)
福屋デパート前にて
頭髪も焼けて縮れていた。
皮フは裂けて垂れ下がり、火ブクレが痛々しい。
黒シャツはボロボロに裂けていた。
今で言えばプロレスラー級の巨人
兄さん、水をわけてくれんさいやー。
**実態調査
学生の声は消える様な声だったので、一中生と言ったのか、あるいは二中生と言ったのか自信なし。
サイズ(cm) 72.5×51.5
展示の説明文

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