トップページ原爆の絵原爆による被災者たち、ある者はボロ切れをまといさまよい、ある者は立ったまま息絶えた。
識別コード | GE45-08 |
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絵の内容 | 原爆による被災者たち、ある者はボロ切れをまといさまよい、ある者は立ったまま息絶えた。 |
作者名(カナ) | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) |
作者名(英語) | FURUKAWA Shoichi |
当時の年齢 | 32歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6~8/10 |
情景場所 | 段原大畑町、河原町、松原町、大洲四丁目 |
情景場所旧町名 | 段原大畑町、河原町、松原町、大洲四丁目 |
情景場所現町名 | 段原一丁目、河原町、松原町、大洲 |
爆心地からの距離 | 900m~3,600m |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月六日晝過ぎ 段原大畑町方面にて男や女や子供のぼろゞに成った大ぜいの人達が火の中を歩きぼろゞに成ってたおれていった 昭和二十年八月六日朝 古川キヌ(当時六十四才)県庁建物そかいに勤労ほうしに出て死亡 昭和二十年八月六日夕方 段原大畑方面にて足元に火がもえているのに死んだ幼児をだいた女の人が立ったまゝで焼死んでいた どうしてこんな姿でと思ったが 自分も気がどうてんしていて多くを考えるよゆうも無く通り過ぎた 昭和二十年八月六日夜 駅前松原町 下敷に成って助けをよぶ人 火に包まれて焼死んで行く多くさんの人達 私しはどうする事も出来ず 私しも火に追われてにげるのに精一ぱいでありました 昭和二十年八月七日朝 駅前松原町にて、女の人が子供をかばう様にして道路上に焼死んでいた 昭和二十年八月九日朝 大洲四丁目川土手にて、白い目玉が飛び出て波にたゞよい口の中から挽きだしたように舌が飛び出し躰は(ガス)でふくれあがり被爆した躰には皮らしきものも無くわずかに首すじに、かみの毛らしきものがたゞようのみの一糸まとわぬおそろしい姿でした 昭和二十年八月九日午後 大手町すじのがれきの中に被爆死亡した人達三、四人を重ねて焼きいたり、すでに死亡した姿とわゆえ、あまりのむざんさに涙する 昭和二十年八月九日夕方 河原町(母の家の焼けあと)にて焼け残った黒い木を立てゝ其の上にぼろぎれがのせてありました 三人の人達に何を尋ねても返事がありませんでした。明朝たづねた時にはもう誰もいませんでした… 昭和二十年八月十日午後 佐伯郡廿日市の親類宅にて兄嫁と其の娘むこ(当時二十七才)と其の子供(当時の二才)男子六日朝相生橋上と観音町(元市商跡)にて被爆 兄娘行方不明 三人親類宅に世話になりおしが、娘むこは一週後に子供は一ヶ月後に兄嫁わ二ヵ月後に死亡せり |
サイズ(cm) | 107×77.5 |
展示の説明文 | 劫火の中で息絶えて 1945(昭和20)年8月6~9日 古川 正一氏(原爆投下当時32歳、絵を描いた時63歳) 作者の解説 6日昼過ぎ、大勢の人達が火の中を歩きボロボロになって倒れていった。 6日夕方、足元に火が燃えているのに死んだ幼児を抱いた女の人が立ったままで焼け死んでいた。6日夜、下敷きになって助けを呼ぶ人、火に包まれて焼け死んでいく多くの人。 9日朝、白い目玉が飛び出て波に漂い口の中から引き出したように舌が飛び出し体はふくれあがり皮らしきものも無くわずかに首すじに、髪の毛らしきものが漂うのみの一糸まとわぬ姿でした。 |