識別コード | GE45-04 |
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絵の内容 | 我子を抱いて家から脱出 |
作者名(カナ) | 香川 ヒサエ(カガワ ヒサエ) |
作者名(英語) | Hisae Kagawa |
当時の年齢 | 37歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)8:00過ぎ |
情景場所 | 天満町の電停近くの自宅の店先 |
情景場所旧町名 | 東観音町一丁目 |
情景場所現町名 | 観音町 |
爆心地からの距離 | 1,200m |
ブロック別 | 十日市・中広地区 |
作者による説明 | **絵の中 HISAE KAGAWA 昭和20年8月6日午前8時すぎ **別紙 ① 被爆の瞬間、異様な光を感じた時に、くずれた家の中に一年二ヶ月の三男をいだいて立っていた。硝子の破片傷で顔と足をきづつけていた様だがその感覚は全然なく無傷であった子供の頭を散乱した紙片でしきりにおさえる。顔からたれ落ちた血潮を子供の怪我と錯覚して。 別室に居た長女と長男は大怪我であったが数日後消息をとらえ得て、命を全うし得た。然し昨夜来、防空要員として学校へ出かけた次男(十六才)は遂にかえらない。 (爆心から一、二km西向の家にいたるが我等は幸運であった。) ② 子供をいだいて家の外に這い出したのは三十分後か、一時間後か、それとももっと時間がたっていたのかさだかでない。 たヾ日蝕を思わす様な、どんよりした、妙にひっそりした別世界がそこにあった。私は、はだかの赤ん坊に、とび散っていた父のズボンの切れを纏わせ、防火用水で頭の血潮をぬぐい傷の程度をたしかめた。 さあ早く、こヽを逃げなければいけない。 香川ヒサヱ **実態調査 原爆におそわれし瞬間か?このあと直ちに家はくずれて幼児をいだきつヽ長く長く家の下に居た。 消防団の人の指示により川のヘリに行く。死体の流れる川を見つヽござの中に入れてもらっていたが大竹の方から救援の人が来られて日が暮れてはいけないからと立上り己斐の山に向う。むしろをひいてもらった上に横になりまだ燃えている広島を見下す。幼児はだいていたが上の子供達はのがれた事は分っているが所在は不明 |
サイズ(cm) | 52×37.5 |
展示の説明文 | さあ、早くここを逃げなければ 1945年(昭和20年)8月6日 午前8時過ぎ 香川 ヒサエ(原爆投下時37歳、絵を描いた時67歳) 子供を抱いて家の外にはい出したのは30分後か、1時間後か、それとももっと時間がたっていたのか定かではない。ただ日食を思わすような、どんよりとした、妙にひっそりした別世界がそこにあった。 さあ、早くここを逃げなければいけない。 |