識別コード | GE45-03 |
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絵の内容 | 市街地上空のきのこ雲 |
作者名(カナ) | 高田 滿(タカタ ミツル) |
作者名(英語) | Mitsuru Takata |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 市内全景 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 ガスの炎の様な火玉が先に落ちてきて太陽が地球へ近付いたかと思た様に光線が爆風と共に光った **裏 八月六日朝七時四十分頃空襲警報解除になった。 母親が病氣では遅刻をして広島駅で被爆して軽いやけどで助かった。 逃げて帰りに段原の母親のおばあさんをたすけて帰ってきた。母親の病氣が死をさけさした。 わたくしは今の中学二年になって居た十四才で昔は高等科二年でした。 學徒動員で千田町の自動車修理工場へ行って居たが母親がぐわいが悪いから休んで居た親戚に行って野菜を貰いに行って帰りに。現在比治山女學校の近くでピカに合った。 通る人が敵機が三機二機が右左に別れて一機だけ真すぐ行きよると言うので上空を見て居たら「あをい色と桃色紅で色ガスの炎の色の火の玉が落ちてきた その間三秒か五秒たってからピカーと光線が光り太陽が地球に近づいた用だった。 すぐ道端にふせてしばらくしてから廻りが一転して屋根瓦ははぎ取れ窓硝子はふき飛びとんで家に帰ったら家もむちゃくちゃに傾むいて建具が皆な飛び家の中ほこりで真黒だった。 弟がおばあさんをつれて11時頃帰ってきた 友達と二人で夜昼五六回山に登って広島街が焼けるのを見る。 弟の治療の為大河小學校へ一ヶ月。 隣大八車借りて行って地獄を見ました。ピカが落ちて二週間ぐらいしたら大分死体が片付た用でした。 髙田満 四十三才 |
サイズ(cm) | 54×38 |
展示の説明文 |