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原爆の絵

識別コード GE44-33
絵の内容 被爆後の横川町周辺の地図
作者名(カナ) 内山 新助(ウチヤマ シンスケ)
作者名(英語) Shinsuke Uchiyama
当時の年齢 46歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時
情景場所 横川町周辺
情景場所旧町名 横川町一丁目、二丁目、三丁目
情景場所現町名 横川町一丁目、二丁目、三丁目
爆心地からの距離 1,400m~1,700m
ブロック別 三篠・祇園地区
作者による説明 **絵の中
可部より午前五時出る 着時刻ムスビ暁部隊桂中尉探す
十日より十二日廿日市山で漸く相会す 母を引き殺した犯人。
水水水で命タスカル
横川町一、二、三丁目 商店街一部省略 信用組合 三丁目
只之一軒焼残り
電車道單線
昭和十九年三月夫人防衛隊二百十八名
戦勝の祈願 護国神社参拝す
昭和廿年八月六日立退きで三圓餘もするなり苦労たるや言語に絶す
信用組合の負傷者は幾百人一枚の新聞紙一枚に寝てゐる
負傷者の血で地下足袋スベル有様自分を呼ブ人あり呼々
内山新助
市場 当時芝居時々アリ
後信用金庫 信用組合
当時信用組合
焼死体番号札つける
三篠橋通りなり全部焼失して死人各家一、二名あり
この時代は川はきれいでよく魚釣に行く人あり
今ま思えばかくせい感あり
陸軍衛生病院 土手に注射器外山程アル捨■■日ナシ

一名三輪通り米国帰りの成功者
肥料 倉庫アリ
私は大正五年迄簡易保険課勤務、約二年半在勤して或る事情により退職す
各小路数十軒 数百人死者出る
長屋 
小生
数百年の松木あり
大ガン木  楠木町一丁目
女死体子宮出してハイトマル
大田川
榮助楼 舟の料屋
数百人来拝者家下敷で死亡
西本願寺当院別院寺町一番ノ寺なり
残念乍ら地面反對になりたところ恐らくないと思ふ
仲々店で書き客のあいまにやりて書く為め誤りは御許し下さい
サイズ(cm) 32×25.5
展示の説明文

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