トップページ原爆の絵口から泡を吹き、お母さんお母さんと叫びながら死んでいった山中高女の生徒たち
識別コード | GE44-05 |
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絵の内容 | 口から泡を吹き、お母さんお母さんと叫びながら死んでいった山中高女の生徒たち |
作者名(カナ) | 中川 信子(ナカガワ ノブコ) |
作者名(英語) | Nobuko Nakagawa |
当時の年齢 | 21歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
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爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | **絵の中 (當時は学徒と呼んでいた) 山中高女の学徒が学徒動員で工場に作業に来ていたが全く無傷の少女が口からあわをふきながらお母さんゝと叫びながら坐ったままで大ぜい死んでいった こんな状況を目の前にしても當時は涙一滴もでなかったが現在、この画を書いていると涙がじわじわとわきでてきます 女子学徒 **裏 中川信子 |
サイズ(cm) | 37.5×54.5 |
展示の説明文 | 口からあわを吹きながら母を呼び、座ったまま死んでいく大ぜいの女子動員学徒たち 爆心地からの距離 不明 1945(昭和20)年8月 中川 信子(原爆投下当時21歳、絵を描いた時の年齢52歳) 絵中解説 当時は学徒と呼んでいた山中高女の生徒が、学徒動員で工場に来ていたが、全く無傷の少女が口からあわを吹きながら、「お母さんお母さん」と叫びながら座ったままで大ぜい死んでいった。こんな状況を目の前にしても、当時は涙一滴もでなかったが、現在この画を書いていると涙がじわじわとわきでてきます。 |