識別コード | GE43-44 |
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絵の内容 | 転校手続に行く |
作者名(カナ) | 秦 進一(ハタ シンイチ) |
作者名(英語) | Shinichi Hata |
当時の年齢 | 10歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1946/2/ |
情景場所 | 己斐橋から福島橋 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 1,640m~2,200m |
ブロック別 | 己斐・草津地区 |
作者による説明 | **絵の中 6/8 昭和21年2月頃。原爆症も治り体力が快復したので転校手続きをするため天満学校へ母と行った。 己斐から南へ大分行った所に仮の学校があった。(平家建で4教室位あったと思う)4~50人位の生徒と2~3人の先生が校庭に整列していた。受持であったネコダ先生の姿は見えなかった。母が女の先生(名も顔も忘れた)に二、三言何か言った(何の手続きも要しなかったようだ)。列の眞ん中を通り帰途についた 誰かが「もうこっちの学校へは帰えって来んのか?」と言った。ぼくは、だまって頷いた 親友であったハナモト君、キクオカ君、タニオカ君は居なかった。福島町の松が煙突のように煙をはいていた。隣に居たミヤモトさんにあった。バラックの中で御馳走になった。銀メシと魚をものも言わないで喰った。 己斐橋 福島橋 公衆便所 煙突のような福島町の松の木 昭和21年2月頃 **実態調査 半年以上も燻る福島町の大松 |
サイズ(cm) | 30×21 |
展示の説明文 |