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トップページ原爆の絵首のない死体、大八車の上の死体

原爆の絵

識別コード GE43-21
絵の内容 首のない死体、大八車の上の死体
作者名(カナ) 北野 ヨシコ(キタノ ヨシコ)
作者名(英語) Yoshiko Kitano
当時の年齢 29歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)9:00頃、14:00
情景場所 広島駅前、府中町
情景場所旧町名 松原町
情景場所現町名 松原町
爆心地からの距離 1,900m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
家は全部ぺちゃんこでした。
昭和二十年八月六日
広島駅前午前九時頃
絵が下手なので人様の前で見てもらうのが恥ずかしいのですが、私の脳裏から離れる事のない二人方です。死人の山です。
首筋から血が噴いていました。
この人は膝を抱るようにして座っていました。前に首が落ちて血が流れていました。お気の毒で未だに忘れる事が出来ません。この人は府中町の道の真中、大八車の上でかちかちになり死んでおられました。午後二時頃
**裏
私は主人に面会に行く途中、広島駅の列車の中の洗面所で原爆に遭いました。顔を洗おうと思って下を向いたら原爆が落ちて真黒になり、手さぐりで三十分余りで外へ出てみたらまるで夜のようでした。親は子を呼び子は親を呼び、人にぶつかって私も随分歩きました。ようやく明るくなり、見れば死人の山でした。私は広島駅前にいましたが、怪我をしていないのが珍しいようでした。私も気をとり直して衣服を見ると、モンペイと肌着の中にガラスのかけらがたくさん入っていました。モンペイを直していると、軍人さんが又飛行機が来るので避難をして下さいと申され、歩ける人は比治山に行きました。行く途中、死人の山をふみふみ、避難中に首が落ちた方を見てこの世の生き地獄でした。二度とこのような事があってはいけません。比治山に避難中に食物を皆さんにわけて食てもらいました。避難中に広い練兵場か死人の山となり、皆さんが水を求めておられました。私は比治山を出たのが一時すぎだと思います。暑いのでふらふらと海田の駅まで歩きました。歩く途中、府中町で大八車を見ました。死人山は沢山見ましたが、この二人は私の脳裏から未だに離れる事がありません。海田から三時すぎの列車で糸崎に帰りました。列車の中にもやけどの方が沢山おられました。絵も下手字も下手なので誠に大変すみません。絵は四十年あまり書た事がありません。私は毎年原爆の日にはお祈をし、合掌をして皆さんの冥福をお祈しています。
〒730
広島市大手町
NHK中國本部
原爆絵係
北野よし子 59才
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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