識別コード | GE42-47 |
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絵の内容 | 変色した植物の葉 |
作者名(カナ) | 瀬戸 芳松(セト ヨシマツ) |
作者名(英語) | Yoshimatsu Seto |
当時の年齢 | 43歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | |
情景場所 | 山手町、中広町、舟入町、江波町 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 瀬戸芳松 七三才 私の足跡の一部分 今も残る疑問 山手町、中広町、舟入町、江波町等の畑のさつまいもの葉、ポプラの木の葉、すべての木の青い葉には同じように点々と茶褐色(ちゃかっしょく)の模様となっていた。 これは強烈な引火力のある、化学薬品ではあるまいか― これに関連して今も尚幾多の疑問があり、その実例を示して参考としたい。 一、 六日の午前十時ごろ橋全体が点々と燃えている。常盤橋を渡ったときの状態は普通の燃方ではない。 二、 六日の夜の猛火も七日の夜明けとともに消えた。その焼け残った所が、三・四日の間に次第に拡大されて行った。 注(六日の夜る以外は夜の出来ごとは知らない。) 三、 中広町、天満町は九日に来て焼けたことを知った。罐(かん)詰工場の焼けた罐詰が山のように積んであった。 四、猿猴橋町、荒神町、広島駅え向って電車道より東側の一帯は、八日午後六時ごろまでは焼けておらぬことを確認していた。それはあの日六日午前九時ごろ両手をあげて、助すけを求めていたので、行って手伝った。そのとき助け出すことが出来なかった女の人が気になり、焼けないよう、助すかるようにと祈っていたが―。 |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 |