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トップページ原爆の絵肉親を捜す、相生橋の川岸に打ち寄せられたふくれ上った死体

原爆の絵

識別コード GE42-13
絵の内容 肉親を捜す、相生橋の川岸に打ち寄せられたふくれ上った死体
作者名(カナ) 辰岩 秀子(タツイワ ヒデコ)
作者名(英語) Hideko Tatsuiwa
当時の年齢 26歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/10(時刻)13:00頃
情景場所 相生橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 300m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **裏
八月十日 午後一時頃、当時廿六才
相生橋を渡り、紙屋町に住む兄姉家族を探しに行きました。
丁度、敵機の空襲に、いそいで現在の商工会議所の建って居る場所迄姪と(当時十四才)長女(当時三才)の三人は鉄骨の柱にすがってかくれて居りました。
其乃時、相生橋の川岸を眺めますと澤山の人が大きいお腹にふくれ上がって筏のように波に打ち寄せられて居られました。
相生橋のらんかんが、両方共内側へ倒れて居たと思ひ不思議でなりませんでした
橋の上の馬の焼けかげがくっきりと残って居りました。
兄姉共白骨で、金歯の型で見分けがつきました。
長女は四ヶ月後に亡くなりました。
小さいので毒瓦斯に対するていこう力が無かったのでしょう
(水を飲み度くて川に近寄り落下してやけどと共に全身が火ぶくれにふくれ上がったまゝで流されて居た人の姿が忘れられません)

辰岩秀子
五十五才
**実態調査
被爆者は躰がはれ上り、皆さんうつぶせに成って流れ付いて居られました。
絵を見て多く涙が流れました。此のまヽの姿でした。
サイズ(cm) 38.5×54
展示の説明文

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