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トップページ原爆の絵野原に蚊帳をつっている被爆者、次々と亡くなる人々

原爆の絵

識別コード GE41-47
絵の内容 野原に蚊帳をつっている被爆者、次々と亡くなる人々
作者名(カナ) 加瀬 時夫(カセ トキオ)
作者名(英語) Tokio Kase
当時の年齢 27歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/7
情景場所 広島駅を出て右へ2kmの神社(総武2769部隊駐屯地)
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **裏

昭和二十年八月七日
広島駅より右へ約二キロ位髙台に神社あり
我々總武二七六九五部隊が宿舎した附近
加瀬時夫
**別紙(絵に貼付)

広島駅を出て右の方へ約二キロ程行った所で、何と言ふ神社かわからぬが髙台の神社内には大勢の人達がセン光による大火傷でやうやく生きている有様であった。誠に思い出すのも無残でならない。路上で寝ている様に死んでいる犠牲者手足もやけたゞれて、うごけずぼう然としている人達で一杯であった。
野原に蚊帳を吊って寝ていた人も、いつか悪臭と化して死んで行った。我々路上衛兵として、夜中に立硝していると苦しまぎれのうめき声が、各戸から聞こえた。夜の明ける度に各所に死体が積出し消防器具庫の前には黒い油の様な水がコンクリートの上に流れ出している悪臭には、なやまされた。広島は周囲が山でかこまれているので原爆実験には絶好の地と思われた様である。周囲の山々はセン光の当った方は草木も真赤に枯れた。水田の稲は穂先だけ赤く焼焦げていた。でも話に依ると、収穫にはさしつかへなかったと聞いた。附近の人々は以后異様なドンと言ふ物音にも、おびえて夢中になって兵隊さんケガ人がいるので防空ごうへ運んでくれと気ちがいの様になって、頼のまれた。自分達もこの様な甚大な被害が出たのも警戒警報中の事でもあるし、今迄に空襲警報を知らなかった、ためでもあろうと思ふと誠に残念でならない。私は当時をしのび犠牲者の方々の御めい福を御祈りする次第です。

加瀬時夫
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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