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トップページ原爆の絵やけどを負った負傷者たち、先生を助けて歩く生徒

原爆の絵

識別コード GE40-49
絵の内容 やけどを負った負傷者たち、先生を助けて歩く生徒
作者名(カナ) 藤田 眞喜子(フジタ マキコ)
作者名(英語) FUJITA Makiko
当時の年齢 20歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)昼前
情景場所 御幸橋へ通ずる道、南竹屋町より大学グランド東側を通り川沿い道より1筋西よりの南北に通ずる道
情景場所旧町名 平野町
情景場所現町名 平野町
爆心地からの距離 1,700m
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 **絵の中
八月六日昼前 御幸橋へ通ずる道
(午前というのに空は黄塵が降った夕方のような空の模様で時間を錯覚しそう)
南竹屋町大学グランドより
(女の人の頭は何十年も乞食をして風呂にも入らぬような赤茶けてパサゝでしゅろ箒のよう)
(顔も体もはれ皮膚の色は土色)
(ブラ下っているのは皮膚)
(まれには光線の当らぬ家の中にいたらしくまともに衣服を着た人も)
(ベルトとズボンの残り布がわずかに)
(帽子のあとには少々毛根のあとがあるがその下はずるむげの感じ勿論まゆはない)
先生しっかりして下さい!先生しっかりして下さい!
見れば先生より生徒の方がずっとひどい姿でした
**裏
藤田真喜子 49才 主婦
サイズ(cm) 37.5×45
展示の説明文 火傷を負った負傷者たち、先生を助けて歩く生徒
1945年(昭和20年) 8月6日昼前 爆心地から1,700m 平野町 御幸橋へ通ずる道
藤田眞喜子作(被爆当時20歳/絵を描いた年齢49歳)

生徒が両脇を抱え、「先生しっかりして下さい」と言いながら、一生懸命助けて歩いて行ったのがとても印象に残っています。
生徒さんの方がよほど醜い格好で先生はある程度服は着ていましたが、先生の目が見えなくなっていました。
【作者の言葉より】

*作者の証言映像が東館3階証言ビデオブースで閲覧できます。

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