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トップページ原爆の絵8月6日朝から翌日にかけての自宅周辺の様子

原爆の絵

識別コード GE40-47
絵の内容 8月6日朝から翌日にかけての自宅周辺の様子
作者名(カナ) 八幡 スミ子(ヤハタ スミコ)
作者名(英語) Sumiko Yahata
当時の年齢 28歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6~8/7(時刻)8/6の8:30~8/7の朝
情景場所 牛田周辺
情景場所旧町名 牛田町
情景場所現町名 牛田旭
爆心地からの距離 3,500m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
太田川
至ル饒津神社
道路
至ル神田橋
八月六日夕方
武田の母がたをれて居るのを、武田の二男さんと二人で救いに行った。
桜土手
小川
出火
安楽寺
原爆直後私が見た事 お母さんと悲鳴を上げて呼んで出て来た娘さんの頭が割れて血が流れて居た。
八月六日八時三十分頃
出火
教員養成所
引率して帰って行く 8時10分
子供
此の人兵隊さん子供三人いる為自害ようせぬと言ふ。三原か三次とか言った?飯に水を入れ口に入れてあげた。ふくれて顔わからず。
八月七日朝
杉林
当家の子供
武田家 八幡スミ子
私 二男 長男
元薬研堀クラブ湯前の下駄屋さん死亡
清水家
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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