トップページ原爆の絵少女の真白い肌にワンピースの花模様が焼きついていた
識別コード | GE40-09 |
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絵の内容 | 少女の真白い肌にワンピースの花模様が焼きついていた |
作者名(カナ) | 谷川 好枝(タニカワ ヨシエ) |
作者名(英語) | Yoshie Tanikawa |
当時の年齢 | 27歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 福島町川土手 |
情景場所旧町名 | 福島町 |
情景場所現町名 | 福島町一~二丁目 |
爆心地からの距離 | 2,100m |
ブロック別 | 十日市・中広地区 |
作者による説明 | **絵の中 八月六日福島町の河土手には避難者と負傷者で一杯であった。雨が降るのでトタンの下で負傷の手当をして居たら、顔見知りの女の人が「妹が負傷し雨に打たれて傷が痛んで苦しんで居るのでトタンを貸してもらいたい」と云うので、トタンを持って行って見ると、何んと無惨にも両腕と下半身がボロゝに焼爛れた身体を仰向けに寝かし顔にタオルをかけてあった。持って来たトタンで屋根代りすると兄が妹のブラースの片前を開くと、まだ十三、四才の娘の真白い肌にワンピースの白生地から抜き取って印を押した様にピンクの花模様が白い肌に焼きついていた。娘さんは痛いよゝ助けてと叫んでいた。 兄は直ぐ自分の上衣を脱ぎ妹を包んで早く医者に行かなくてはと夫婦で己斐方面に行った。四、五日後に兄嫁に逢って娘さんの様子を聞いた話では「あれから医者を探して己斐小学校へ行ったが、動かせないので妹をあづけて帰り、翌日行って見ると、既に妹は何処に移されたのか、又は其の日に死んだのかわからなかった。あの傷では到底助からぬとは思っていたが、せめてお骨の一つでもと今も探している」との事であった。 今もあの白い肌に焼きついていたピンクの花柄模様は忘れることが出来ない。 一日も早くこんな悲惨な戦争のない平和な日が訪れる日を願ってご冥福を祈る 合掌 此の娘さんは学徒動員で横川工場に通勤途中被爆したものである。 谷川好枝(57) |
サイズ(cm) | 27.5×38 |
展示の説明文 | 少女の真白い肌にワンピースの花模様が焼きついていた 爆心地から2,100m 福島町川土手(西区福島町一~二丁目) 1945(昭和20)年8月6日 谷川 好枝(原爆投下当時27歳、絵を描いた時の年齢57歳) 絵中解説 「妹が雨に打たれて傷が痛んで苦しんでいるのでトタンを貸してもらいたい」と言うので、トタンを持って行って見ると、何と無惨にも両腕と下半身がボロボロに焼爛れた身体を仰向けに寝かし、顔にタオルをかけてあった。トタンで屋根代わりにし、兄が妹のブラウスの御前を開くと、まだ13、4才の娘の真白い肌に、ワンピースの白生地から抜き取って印を押したようにピンクの花模様が焼きついていた。娘さんは「痛いよ、痛いよ、助けて」と叫んでいた。 今もあの白い肌に焼きついていたピンクの花柄模様は、忘れる事が出来ない。一日も早くこんな悲惨な戦争のない、平和な日が訪れる日を願ってご冥福を祈る。 |