トップページ原爆の絵大河国民学校 救護所、次々と亡くなる人を火葬にする
識別コード | GE40-05 |
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絵の内容 | 大河国民学校 救護所、次々と亡くなる人を火葬にする |
作者名(カナ) | 藤村 光子(フジムラ ミツコ)、藤村 智子(フジムラ トモコ) |
作者名(英語) | Mitsuko Fujimura、Tomoko Fujimura |
当時の年齢 | 21歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/8 |
情景場所 | 大河国民学校 |
情景場所旧町名 | 旭町 |
情景場所現町名 | 旭一丁目 |
爆心地からの距離 | 3,150m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **絵の中 屋根やまどがボロボロにこわれていた。 重しょうの人達がねている イタイヨ~ 水をくれ 八月八日大河国民学校々庭の南側のすみへ穴をほって多数の死体を焼却した時の様子 廃油をかけてやいている。 トラック 次から次へ死んだ人を運んで来た。 大河国民学校 正門 **裏 八月六日 原爆の投下で多数の人達が大河国民学校へ殺到 瀕死の重傷者ばかり校庭一っぱい所狭しとごろごろと横たわって弱々しく水 水 水を下さいと呻く様な声で右往左往する人にお願いしますと云う様子は生きながらの地獄を見ているようでした 特に小さな子供は一そうあわれで、じっと見ていることはできなかった 私の父もついに八月八日の朝息を、ひきとりました。死後二時間くらいして南側の穴を堀た中で多数の死体といっしょに焼却された。今でもその時の様子をはっきりと、おぼえています。 藤村光子 |
サイズ(cm) | 38.5×27 |
展示の説明文 |