トップページ原爆の絵軍上陸用舟艇で桟橋に運ばれてきた負傷者達
識別コード | GE39-25 |
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絵の内容 | 軍上陸用舟艇で桟橋に運ばれてきた負傷者達 |
作者名(カナ) | 島川 六男(シマカワ ムツオ) |
作者名(英語) | Mutsuo Shimakawa |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)夕方 |
情景場所 | 陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫 |
情景場所旧町名 | 宇品町 |
情景場所現町名 | 宇品町 |
爆心地からの距離 | 6,500m |
ブロック別 | 皆実・宇品地区 |
作者による説明 | **絵の中 原爆の繪 (第一繪) 日時 昭和20年8月6日夕刻の出来事 場所 宇品町陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫地帯 説明 状況不明のまヽ夛くの半裸の罹災者が軍上陸用舟艇で桟橋に運ばれて来た。 当時私共戦友は暁第6140部隊の船舶兵であった。隊長の命により急造の莚の担架で予め用意した倉庫内に(莚の上に毛布を敷いた)収容した。 殆どの者が着衣はボロボロで局部を覆うが精一杯の様で全身焼けただれ、はだしで手の皮はめくれて指先にぶら下っていた。 顔は眞黒く眞夏の太陽の下で随分苦しい事であったろうと思った。 特に苦しい我が身をもいとわず赤子をしっかりと抱いた母親の姿は母性愛の偉大さを思わせた。 島川六男 |
サイズ(cm) | 36×25.5 |
展示の説明文 |