識別コード | GE38-39 |
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絵の内容 | 同じベッドの中で息を引き取った堀田夫妻 |
作者名(カナ) | 山田 育枝(ヤマダ イクエ) |
作者名(英語) | YAMADA Ikue |
当時の年齢 | 12歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/10(時刻)午後 |
情景場所 | 広島赤十字病院 |
情景場所旧町名 | 千田町一丁目 |
情景場所現町名 | 千田町一丁目 |
爆心地からの距離 | 1,500m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **裏 山田 育枝 **別紙 八月十日午後. 父母と兄と私は探して来ました 日赤病院の一室にあの頃の堀田病院の先生を、院長さんは眼科の博士でした 堀田の院長さんは日赤病院の一室で奥様と一緒に並んで死んで居られました 側で山口勇子さまが息を引取られる時や其の他の事を詳しく母と話して居られました 眼科では名髙かった堀田先生は此所で息を引取られたそうです 奥様と一緒に同じベットになられた事は当時としては本当によかった事と思います これは奥様の縁者になられる山口勇子様の努力だった様に聞きました すらりとした美しい山口勇子様のおっしゃった言葉の端々を子供だった私も少しおぼえています 堀田先生奥様の御冥福を祈ります **実態調査 母や兄と探していた人をみつけた時傍らに山口勇子さんがおられた |
サイズ(cm) | 38×54.5 |
展示の説明文 |