識別コード | GE38-32 |
---|---|
絵の内容 | 助けを求める被爆者 |
作者名(カナ) | 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) |
作者名(英語) | Yoshiko Nakamoto |
当時の年齢 | 16歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/8 |
情景場所 | 江波線の電車通り、舟入付近 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 300m |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月八日. 江波線の舟入近くを通り觀音町迄妹をさがしに行く途中、道路にずらりと生きるか…死ぬか…死の寸前の人と思える人ばかり並んで座って居られた。 たすけてくれー、たすけてくれー、たすけてくれー、たすけてくれー、 「たすけてくれ.」しか言えない人達 どうしてあげる事も出来ず…通り過ごした私は、何時ゝ迄も忘れる事が出来ません 二十人も三十人もいやそれ以上だった。五十人も六十人もたくさんの重傷者の方々を当時十六才の私は重傷の父とけがをした妹をかヽえ手をさし出す事が出来なかった。 ↑至己斐 →至十日市 土橋 江波← 中本秀子 46才 (鈴政) 50.6.30.記 |
サイズ(cm) | 25.5×36 |
展示の説明文 | 道端にずらりと並んですわった死の寸前の被爆者たち、「助けてくれ」の声だけが響く 爆心地から約300m、相生橋 1945(昭和20)年8月8日 中本 秀子 |