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トップページ原爆の絵祇園から川舟7隻で救護におもむき、屍 ルイルイの市内を見る

原爆の絵

識別コード GE38-19
絵の内容 祇園から川舟7隻で救護におもむき、屍 ルイルイの市内を見る
作者名(カナ) 本下 良蔵(モトシタ リョウゾウ)、本下 ユキノ(モトシタ ユキノ)
作者名(英語) Ryozo Motoshita、Yukino Motoshita
当時の年齢 46歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)11:00頃
情景場所 崇徳中学校、元安橋周辺
情景場所旧町名 楠木町四丁目
情景場所現町名 楠木町四丁目
爆心地からの距離 2,180m
ブロック別 三篠・祇園地区
作者による説明 **絵の中
崇徳の門が火の手があがっていた
崇德中学校の門から火の手が上っていた

祇園町下安五五〇番地油谷工場へ壱週間で20軒の家を倒して整理の命があり八月三日より三日間倒してもう壱軒を六日に倒して整理してと作業に就いた直後の出来事

顔では判明せない
油谷かとそれに答えた者を舟につみて大芝に上陸してそこから車で祇園に七日午前四時で救助員は一応引き揚げた

(8月6日午前11時頃)一皈校

報告が終ると倒れたので看護した
後に続く者は居なかったか山口君がおりましたが江波でタオレました

青校主事兼舎監本下

油谷青年斈校生徒加藤梅次郎君 
天神町の現場より報告に学校に皈へる
奉告現場は全滅です
どこを通って皈へたか 
天神町-江波-己斐の山を通って皈りました

元安橋

八月六日直ちに川舟の準備 七隻をかりた→天神町の現場へ潮か滿ちて来て下から上流に押し上げられる となりが安田校であったから川に浮いている生徒は殆どが女生徒であった
**裏
本下良蔵  七十六才
  ユキノ 七十三才
サイズ(cm) 27×38.5
展示の説明文 死屍累々の市街へ救助に向かう人々
爆心地から約130m、元安橋周辺
1945(昭和20)年8月6日午前11時ごろ
本下 良蔵・ユキノ

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