識別コード | GE37-36 |
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絵の内容 | 自分の負傷のようす |
作者名(カナ) | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) |
作者名(英語) | Hiroshi Yoshii |
当時の年齢 | 25歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)朝 |
情景場所 | 尾長町片河の自宅 |
情景場所旧町名 | 尾長町 |
情景場所現町名 | 山根町 |
爆心地からの距離 | 2900 |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 八月七日尾長町より矢賀の工場へ通勤のため才蔵峠を越えてゆく。 八月七日の出勤姿。 国鉄職員健在者は出勤すること。輕送の第一線へ…復帰すること。業務命令が出る。片河より才蔵峠を越えて工場へ出る才蔵峠に至る道は負傷者やもう死亡している人が道端にうずくまっている。死体を乗りこえて行った。その数は知れず 六ヶ所。(自分の負傷) 傷は普通一週間で全治するが二ヶ月余り傷が良くならず十一月頃にガラス破片が出てきた。近年はセキズイ病で苦労をする。原爆二世も健康は普通より弱いようである。 **実態調査 ガラスの破片がささり傷ついて、普通は二週間で全治するが二ケ月もかかった。終わり頃になりガラスの破片が出てきた。これは放射能の害である。手当ても当時包帯もなく、妻が布団の敷布をさいてくれたので体中、顔面から手、足をぐるぐるりまいていた其の時の姿は被爆者らしい? |
サイズ(cm) | 27.5×38 |
展示の説明文 |