トップページ原爆の絵倉庫に収容された人々、中学生や母親に抱かれた乳飲み子
識別コード | GE36-49 |
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絵の内容 | 倉庫に収容された人々、中学生や母親に抱かれた乳飲み子 |
作者名(カナ) | 島川 六男(シマカワ ムツオ) |
作者名(英語) | Mutsuo Shimakawa |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6~8/8 |
情景場所 | 陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫 |
情景場所旧町名 | 宇品町 |
情景場所現町名 | 宇品町 |
爆心地からの距離 | 6,500m |
ブロック別 | 皆実・宇品地区 |
作者による説明 | **絵の中 原爆の繪(第一繪の續) 倉庫板張り 日時 昭和20年8月6日―8日迄 場所 宇品町陸軍運輸部金輪島2場物品倉庫内 説明 6日夕刻倉庫に収容した罹災者はその数3百数十名だったと思う。軍人も居た。一般家庭人、中学生で中には母親に抱かれて乳を探す乳呑子も居た。一日二日立つ内に悪臭が鼻を突く。一人づヽ防空壕内の医務室に運ばれて治療を受けたが行届かず、衛生兵が来て原因不明のまヽ応急手当をしていた。 罹災者は痛みを訴え虫の呼で、小便小便との声に腰をかヽえると皮がはげ益々痛がるがどうするすべもない。 傷口にはうぢが湧き本当に痛ましい姿であった。 その内一人死に二人死に3日後には数十名残ったが、再度の空襲を恐れて舟で西の方へ運ばれたが、敵のグラマーで全員死亡したと聞く。当時は死す事はそれ程気にしなかったが、人間に返った今は違う。二度と不幸は見たくない。 島川六男 |
サイズ(cm) | 36×25.5 |
展示の説明文 |