トップページ原爆の絵広島赤十字病院の外と内、ガラスの破片だらけの電車道
識別コード | GE36-10 |
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絵の内容 | 広島赤十字病院の外と内、ガラスの破片だらけの電車道 |
作者名(カナ) | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) |
作者名(英語) | Miyako Sadatoku |
当時の年齢 | 33歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)9:00前頃 |
情景場所 | 広島赤十字病院 |
情景場所旧町名 | 千田町一丁目 |
情景場所現町名 | 千田町一丁目 |
爆心地からの距離 | 1,500m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 4.日赤病院にて 8/6日 しかし、頼みにした日赤病院はケガをした傷痍軍人や看護婦さんばかりでした。 それで私はこれではどうにもならないと思い、宇品の共済病院へと足を運びました。 そして日赤の表門のところで電車道をみましたら、何と電車道は硝子がこっぱみじんで塞いで、とても素足では歩けそうにはありませんでした。それで私は電車の線路の上を通って御幸橋のところまで行きました。電車の線路の上には幸にして硝子の破片がありませんでした。 宇品の共済病院へ行きましょうとここまで来てみますと、道は硝子の破片でビッシリでした。 それで私はレールの上を通って歩きました。幸にもレールの上は硝子あがはじいてありませんでした。 レールの上を通る時は、硝子の破片が足の裏にたたないよう神仏の御加護を願い南無阿弥陀仏を唱えて通ったものです。 ここまでくると硝子の破片もなくようやくホットした。 当時広島では、一番長いと言われていた御幸橋の欄干も爆風の為みんな倒れていた。いかに爆風が激しかったかをここでも示している 。こちらの欄干は急いで橋を渡ったので見ていない。 午前九時前頃 日赤病院にて 時の門 傷痍軍人さん 日赤の門 日赤の看護婦さん |
サイズ(cm) | 38.5×54 |
展示の説明文 |