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トップページ原爆の絵母の交通事故による死

原爆の絵

識別コード GE35-43
絵の内容 母の交通事故による死
作者名(カナ) 内山 新助(ウチヤマ シンスケ)
作者名(英語) Shinsuke Uchiyama
当時の年齢 46歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/8
情景場所 新庄橋付近
情景場所旧町名 長束村
情景場所現町名 安佐南区長束
爆心地からの距離 3,230m
ブロック別 三篠・祇園地区
作者による説明 **絵の中
私の母は当時八十二才、非常に健康な体の方であり、ただ、原爆により首辺り両手に火傷あり。私の勤務する三菱より、母の百姓の関係で南東へ水をやりに無断外出して、暁部隊の自動車にコウモリ傘が巻き込まれ、膝関節上部を負傷す。
この付近は全部田なり。
私は被害者の立場より、桂中尉の住所探す事三日間、僅かな見舞金なり。
注意、小生今日生あるのは水のお陰。

県道筋長束村

内山正一 弟は昭和四十九年十一月八日死 三篠市出張所■■原爆負傷死七十二才
死亡
新庄橋

広島行く人

八月八日負傷
桂中尉指揮
暁部隊軍貨物自動車
弟は原爆で負傷し、陸軍病院入院。
母は自動車にひかれ、安佐郡可部町中野迫田に桂中尉来たり。負傷を知らす。飯室陸軍病院をさす。弟も同病院入院。母は十日午後五時十分、手術の甲斐なく死亡す。

母は非常に健康な方で、原爆当時、自分の家の畑で相会す。当時、この付近は、わらやふきの家が多く、二十日午前八時、原爆で消す間もなく焼けて仕舞うなり。貴重なる小生の母の家、疎開したる全部焼ける。特に残念なり。 内山新助
サイズ(cm) 32.5×26
展示の説明文

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