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トップページ原爆の絵広島城付近の惨状

原爆の絵

識別コード GE35-31
絵の内容 広島城付近の惨状
作者名(カナ) 瀬良 守人(セラ モリト)
作者名(英語) Morito Sera
当時の年齢 27歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/8(時刻)朝
情景場所 広島城
情景場所旧町名 基町
情景場所現町名 基町
爆心地からの距離 980m
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **絵の中
広島城内軍監部司令部勤務(臨時)
大きな杉の木は昼はくすぶり夜はローソクの様に頂上から火をふく
竹ヤブ
天守閣
大本営跡
自分たちがキャンプした所
青葉が生い茂っていた
孟そう竹
此の一角は焼け残り
天守閣は焼けずに北へ向ってくずれ落ちていた
焼けずにおしつぶされた大本営
此の中に女子挺身隊の死体約二十五名がいたが八月八日死体をタンカにつんで応援隊がかたづけた
大きな数十本のもうそう竹もブルトーザーでおしつぶした様に全部北へ向けて根からたおれていた 不思議に焼け残っていた
師団司令部跡
師団司令部焼跡 人員は全滅、最高司令官も賀陽宮さまも全員死亡
大松
セン水
死体
焼けた様な柳の木も十日ぐらいで新芽が出た
営倉らしい
生きていたハスの葉
食用がえるが夜になるとたくさん鳴いていた。
**裏
私は昭和20年8月6日の夜中勤務地(島根県浜田市の部隊で出雲市(当時今市町)に駐留しておりましたが
広島警備を命ぜられ仲間拾数人と一しょに広島へ向けて出発し、広島駅の手前矢賀駅で下車し峠越に歩いて広島市に入ったのが午后4時頃でした練兵場で一休しみて燃えくすぶる市中を歩いて広島城についたの8月7日は夜8時過ぎでした其のまま城内で野宿し朝目がさめて惨状にびっくりしました
広島城にはいったのは私達が最初でした 其の時の様子の表の絵です。
昭和20年以後広島城に行きませんので記憶違いで位置が間違っているかも知れませんが悪しからず 私達は20年8月8日から9月3日頃まで司令部の当番兵として勤務致しました。
瀬良守人 54才
サイズ(cm) 25×35.5
展示の説明文

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