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トップページ原爆の絵並んで死んでいた中学生 川の材木にひっかかっている死体、河原にたおれている人

原爆の絵

識別コード GE35-22
絵の内容 並んで死んでいた中学生 川の材木にひっかかっている死体、河原にたおれている人
作者名(カナ) 大山 節夫(オオヤマ セツオ)
作者名(英語) Setsuo Oyama
当時の年齢
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/7(時刻)5:00頃
情景場所 天満橋付近
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,050m
ブロック別 十日市・中広地区
作者による説明 **絵の中
小網町←天満橋→天満町

②材木
石がき
③(河原)
石かき
④階段

天満小学校
**裏
八月七日五時頃
①天満橋西口(橋に向って左)に中学生が二十人位(男)並んで死んでゐる。多少黒づんでゐたがあまりケガのあとや、やけどのあとはなかった。
②天満橋の橋げたに材木が沢山引かって居り、其の間に十人位の人(女が六、七人)がどこもキズあとがなくロー人形の様に白くすこしふくれぎみに浮かんでゐた。
③天満橋の上流の河原(砂地)にぱらゝと十人位の人がたおれてゐる。中に一人の婦人が赤ちゃんを背おってたおれてゐるがキズは全然なかった。
④十五、六段位の階段に5、6人位並んで死んでゐる 私が河原から川を横切って上らうとすると中の人がまだ生きてゐてまたげたしゅんかん目をあけて私を見た。
⑤とたんを一枚、日よけにして十二、三才位の男の子が苦しんでゐる(助をもとめて、)
天満川の電車鉄橋(天満橋のすぐ下流二十米位のところ)の両がわにも何人か死んでゐるのを見てゐる
天満小学校の防空ゴウの中にも無キズで二、三人死んでゐた
其の他ところどころにポツンポツンと死んでゐた。
大山節夫
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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