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トップページ原爆の絵火の海になった広島市内

原爆の絵

識別コード GE34-34
絵の内容 火の海になった広島市内
作者名(カナ) 住田 行恵(スミダ ユキエ)
作者名(英語) Yukie Sumida
当時の年齢 33歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)21:00頃
情景場所 二葉山
情景場所旧町名 二葉の里
情景場所現町名 二葉の里
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
江波山
向宇品
比治山
広島駅
双葉山
ときわばし

**裏
住田行恵 六十三才
広島駅前あたりの建物が破裂し飛び散る凄まじい音を聞きながら、昭和二十年八月六日午後九時頃、私は二葉山中にて一夜を明かすことにした。 午前中は市内から避難してくる人が波のように押し寄せてき、水水と叫び兵隊さんをよぶ者、お母さんお母さんと泣く者、救護隊が走っていく。一糸まとわず倒れている人、ぼろぼろに焼けただれている人。私は一才になる娘を抱いて歩いていると、そばに近づいてきた一人の同年輩の奥さんが話しかけてきました。「私は柱の下敷きになった小さい子をそのまま置いてきました。その柱は私の力では動かなかった。(お母さんお母さん)と子は泣いたがどうすることも出来なかった。そのうち、火に囲まれて終わった」と淋びしそうに語ったことが今も思い出される。この絵はその夜、一睡もせず広島市内が燃えていく有様を見たものです。全ったく火の海で一切は炎の中に崩れるように熔けていった。火の海、この中に尊い生命は消えている。私は幾度びも幾度びも合掌して頭をたれていた。
**実態調査
二葉山の神社より眺めたもの遠くに見える山は比治山、江波山、似島です。
サイズ(cm) 26×35.5
展示の説明文 夜も火災は続き、火の海となった広島市内
1945(昭和20)年8月6日 午後9時頃
住田 行恵(当時33歳、絵を描いた時 63歳)

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