トップページ原爆の絵理容室の焼け跡、椅子のまわりに散らばった焼けた骨
識別コード | GE34-33 |
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絵の内容 | 理容室の焼け跡、椅子のまわりに散らばった焼けた骨 |
作者名(カナ) | 小川 オサヱ(オガワ オサエ) |
作者名(英語) | Osae Ogawa |
当時の年齢 | 22歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/23(時刻)10:00頃 |
情景場所 | 広島郵便局 |
情景場所旧町名 | 細工町 |
情景場所現町名 | 大手町一丁目 |
爆心地からの距離 | 80m |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
作者による説明 | **別紙 勤務して居りました広島郵便局内の理髪部に8月23日10時頃(細工町)に行きました。私の使ってゐた椅子のそば行かうとふと足もとを見ると誰れか何人かわかりませんでしたが焼けたゞれた骨が一ぱいちらばってゐて驚き声も涙も出ず立ちすくんでしまいました 今でも思ひ出すと胸をしめつけられます 仲くしてもらった皆様の御めいふくをお祈り申上て居ります。私の使って居りました理髪椅子は台だけになってスプリングだけがもの悲しくころがってゐました。 小川オサヱ |
サイズ(cm) | 25.5×36 |
展示の説明文 | 骨がいっぱい散らばって 爆心地から80m 広島郵便局 細工町 (現在の大手町一丁目) 1945年(昭和20年)8月23日 午前10時ごろ 小川 オサヱ (原爆投下時22歳、絵を描いた時52歳) 【作者のことばから】 ふと足もとを見ると焼けただれた骨がいっぱい散らばっていて驚き声も涙も出ず、たちすくんでしまいました。 私の使っておりました理髪いすは台だけになって、スプリングだけがもの悲しくころがっていました。 |