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トップページ原爆の絵中山峠を避難する人達、尾長国民学校のケガ人を満載したトラック

原爆の絵

識別コード GE34-06
絵の内容 中山峠を避難する人達、尾長国民学校のケガ人を満載したトラック
作者名(カナ) 吉富 サワエ(ヨシトミ サワエ)
作者名(英語) Sawae Yoshitomi
当時の年齢 22歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 尾長国民学校、中山峠
情景場所旧町名 尾長町
情景場所現町名 山根町
爆心地からの距離 2,850m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
原爆被災者が街から山へ山へと逃げのがれてこの中山峠には物すごい人数がのたうって歩いていた
全身裸身のふくれ上ってただ水ー水ー水と叫び力つきて道端へ死んでいった幾人かを目撃しながら傷ついた妹達をつれて山に逃げた
当時二十二才の私は陸軍兵器行政本部中国出張所(今の流川の教会)に勤務していた
戦争たけなわになり役所が祇園へ疎開した為流川の教会にある今迄の役所へ毎日残務整理に数名の者が出向いていた
八月六日はその一人に私も加っていたが、その朝体不調の為休み欠勤届を街の友に届けに行き家に帰った矢先この閃光を浴びた
その教会に勤めていた人達は命からゞ祇園の本隊にたどりついたがその後どくだみ草を煎じたりやけ傷に胡瓜をすりつけたりしたが頭の毛が抜け出し鼻血がとまらなくなったりして一週間か十日程でみんな死んでしまった
水!水!水
防火用水
尾長小学校の校庭に横たわった一台のトラックにけが人が満載していた
イタイヨーイタイヨ
大八車に乗せられた少女が背中が焼けただれて泣き叫んでいた
吉富サワエ(旧姓 中川)
サイズ(cm) 38×54.5
展示の説明文

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