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トップページ原爆の絵地方より被災者の見舞いや調査に来た人々、心配そうに収容告知板を見る

原爆の絵

識別コード GE32-48
絵の内容 地方より被災者の見舞いや調査に来た人々、心配そうに収容告知板を見る
作者名(カナ) 武田 明人(タケダ アキト)
作者名(英語) Akito Takeda
当時の年齢 43歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/7(時刻)8:20頃
情景場所 広島駅
情景場所旧町名 松原町
情景場所現町名 松原町
爆心地からの距離 1,900m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
No3
廣島駅にて地方より被災者の見舞並びに調査に多数出廣さる荷物及食糧を持てる人
いづれも心配顔にて収容板を見つめる
罹災者
収容記載列
**裏
餘りの悲惨さに警防団員気分を悪くするもの多数あり呉市も罹災し救護部員亦家を焼かれて故郷に歸るもの多数あり己むねく他の部員に応援を求むも彼等平時より訓練なさたので廣島駅にて車を止め破れ水道管より洩れ出る水を集めてアルコール弱めて飲ます
駅にも故郷を求めて歸るのか負傷者多数集合せり又親類縁者を見舞か田舎より来呉せる人もありいづれも心配顔にて罹災者の収容告知板を見入る
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文 負傷者・避難者でいっぱいの広島駅、収容者名簿を心配顔で見る人々
絵・文/武田明人氏
1945(昭和20)年8月7日午前8時20分頃 爆心地から約1,900m 広島駅
「蟹屋町から荒神町にかけては負傷者・倒壊家屋は数限りなく、死体の臭気は非常に強く鼻をついてくる。団員はこの惨状に堪えかねて、青い顔をしてうつむいている。これではいけないと車を広島駅前に止める。駅の屋根は、鉄骨が飴を曲げたようにゆがんでいる。避難者、負傷者または遠来の縁者で足の踏み入れ場もないほど混雑していた。団員の水筒の水をバケツに入れ、消毒用のアルコールを薄めて元気をつけるために皆に飲ませる。」
手記より抜粋

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