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トップページ原爆の絵中島本町周辺の焼け跡、本川の中の多くの死体

原爆の絵

識別コード GE32-29
絵の内容 中島本町周辺の焼け跡、本川の中の多くの死体
作者名(カナ) 内山 新助(ウチヤマ シンスケ)
作者名(英語) Shinsuke Uchiyama
当時の年齢 46歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/8(時刻)10:00
情景場所 中島本町周辺
情景場所旧町名 中島本町
情景場所現町名 中島町
爆心地からの距離 250m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
呼を昭和廿年八月五日迄は西部で一番の繁華街として有名な商店街なり
映画館も二館有り自他共私等はよく遊びに行きて一日を暮す事も有りた
焼残り公会堂■■■■■■■■■■■■■
八月六日の原子爆弾によりて一旬にして全部焼けたり
僅かに残りた建物三箇所なり何様に近くに原爆で死人恐らく■と思ふ
生きてゐた人
私の八月八日午前十時の状況なり(今は平和公園となりてゐるなり)
■■内山新助
新橋
本川橋
本川なり
流れる死体
富士海上保険
何様中島一帯、材木町、木挽町、慈仙寺、■■■、上柳町、下柳町、天神町一面未だ死体が無数家の下敷となり居る。
なる鼻をさす死体の焼るにほいで暑さで(ハイが)體一面にたかり歩行すら困難なり
道を歩く更になし
尋ね人に再三相するなり
小生上田謹吾二名探す一家全滅なり
天神町通り裏には元安川あり
縣の建物
今も有り焼残建物
小生
■■■■■■て歩く
■■■■■なし僅カ五六人の人と相合す
サイズ(cm) 48×42
展示の説明文

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