menu

トップページ原爆の絵ガラスが散乱した中で息たえだえの親子

原爆の絵

識別コード GE31-13
絵の内容 ガラスが散乱した中で息たえだえの親子
作者名(カナ) 渡 シズ子(ワタリ シズコ)
作者名(英語) Shizuko Watari
当時の年齢 36歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/7(時刻)18:00頃
情景場所 吉島飛行場
情景場所旧町名
情景場所現町名 吉島西、吉島東、光南一~三丁目
爆心地からの距離 3,430m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
二十年八月七日
午後の六時頃吉島飛行場兵舎にて硝子のかけらの一ぱい散らばってゐる中で四十四五才の夫婦が着物はやけ体中眞黒にやけたゞれても虫の息の中から子供に食物をやって下さいお願いです、と言ながら子供の名を叫びだんゝと虫の息に成ってゐく夫婦。子供は六、七才の男の子
水がほしい食べたいゝと叫んでゐる親、子供、目は見へないらしく手さぐりで互に生存を確かめ合ってゐる様でも、どうして有げる事も出来ず八日の早朝にぎりめしと水を持って行ったら三人共息が絶てゐた
当時三十六才
渡シズ子
サイズ(cm) 27×38.5
展示の説明文 手探りで存在を確かめ合う親子
爆心地から3,000m 吉島飛行場(現在の光南一~三丁目)
1945(昭和20)年8月7日 午後6時ころ
渡 シズ子氏(原爆投下当時36歳、絵を描いた時66歳)
作者の解説
ガラスのかけらがいっぱい散らばっている中で、40~45歳の夫婦が着物は焼け、体中真っ黒に焼けただれても、虫の息の中から「子どもに食物をやって下さい、お願いです。」と言いながら子どもの名を呼びだんだんと虫の息になっていった。目は見えないらしく手さぐりでお互いに生存を確かめ合っている。8日の早朝にぎりめしと水を持って行ったら3人とも息が絶えていた。

戻る

Page Top