トップページ原爆の絵亡くなった長女を大八車に乗せ山の上にある火葬場に運ぶ。
識別コード | GE30-45 |
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絵の内容 | 亡くなった長女を大八車に乗せ山の上にある火葬場に運ぶ。 |
作者名(カナ) | 秋山 アサコ(アキヤマ アサコ) |
作者名(英語) | Asako Akiyama |
当時の年齢 | 43歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/27(時刻)朝 |
情景場所 | 安佐郡祇園町長束 |
情景場所旧町名 | 安佐郡祇園町長束 |
情景場所現町名 | 安佐南区長束町 |
爆心地からの距離 | 3,800m |
ブロック別 | 三篠・祇園地区 |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月二十七日朝 脱毛、歯茎から出血、三日後には自分にも死の迫っていた長男、薫(当時二十才)が、姉、静子(行年、二十二才)の遺体を、大八車に積み、祇園町長束の山の上にある火葬場に向うところ。 この時、長男は、とても弱々しく苦しそうなので代って貰わうと思い甥に云いましたところ「苦しいのはお互だ」と云われ、「薫ちゃん 私が代るから」と云いましたのに唇を噛みしめ遠い山の上迄細い一本道をトボトボ引いて登り茶毘に付す。 何時も当時を偲び断腸の思いに駆られます。 長女、静子(大.11.10.19生)は寺町の親戚で被爆直後、相生橋を傷ついた体で研屋町の自宅跡、古江、草津、五日市等を、家族を探求めて歩き廻る。間もなく脱毛、歯茎より出血の症状が現れ「ミカンの缶詰が食べたい、食べたら何時、死んでもいヽのに」と訴えつヽ、その儚い望みも叶えられぬまヽ、遂に八月二十六日午后三時五十分、苦しみながら息を引取りました。 (布団に巻いた長女の遺体) 長男 薪 叔母 甥 私 秋山アサコ 73才 |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 |