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トップページ原爆の絵左官町妙頂寺山門の黒焦げの死体の山

原爆の絵

識別コード GE30-37
絵の内容 左官町妙頂寺山門の黒焦げの死体の山
作者名(カナ) 上藤 軍六(ウエトウ グンロク)
作者名(英語) Gunroku Ueto
当時の年齢 42歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/7(時刻)9:00頃~9:30頃
情景場所 左官町、相生橋
情景場所旧町名 左官町
情景場所現町名 十日市町一丁目、本川町一丁目
爆心地からの距離 500m~600m
ブロック別 十日市・中広地区
作者による説明 **絵の中
昭和二十年八月六日広島軍部應召中、東観音町において被爆。
無職 傷痍軍人上藤軍六 七二才
八月七日朝九時頃左官町妙頂寺山門の焼跡に男女の判別もつかぬ数百の黒焦死体が折重なって居りました。

八月七日朝九時半頃
相生橋上に軍馬の死体の後に兵率の巻ゲートルを巻いた片足の軍靴が残って居た。
将校の出隊の途中の被爆で将校と兵率の胴体はいづれかに吹き飛んで残形もなし。

原爆ドーム
相生橋
左官町妙頂寺跡
八月七日朝九時十分頃、左官町電車筋の北側防空壕の天井の落ちた中で座したまま硬直した黒焦死体が三体あったのが脳裏に残った。
サイズ(cm) 25.5×36
展示の説明文

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