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トップページ原爆の絵荒涼たる焼け跡に残ったビルとところどころに建つバラックの家

原爆の絵

識別コード GE30-33
絵の内容 荒涼たる焼け跡に残ったビルとところどころに建つバラックの家
作者名(カナ) 落合 フミコ(オチアイ フミコ)
作者名(英語) Fumiko Ochiai
当時の年齢 29歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/10/
情景場所 比治山より臨む市内
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
秋風の吹く頃。
比治山中腹より焼跡を見る
荒涼たる焼跡。己斐、横川方面まで見える。
中国新聞
福屋
産業奨励館
道路
鶴見橋
木造だが焼失をまぬがれた
竹屋国民学校の講堂は鉄骨が曲がってゐる
竹屋校の焼跡
焼けビルと処々にバラック建ての家
道路
比治山橋
木の幹だけ残っている
石垣
京橋川
比治山下経由宇品線電車道
比治山登り口
昭和20.10
**裏
落合フミコ 五十八才
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文 焼け跡に建つバラックの家

比治山より臨む市内
1945年(昭和20年)10月
落合 フミコ(原爆投下時29歳、絵を描いた時58歳)

【作者のことばから】
秋風の吹くころ。比治山中腹より焼け跡を見る。
荒涼たる焼け跡。己斐、横川方面まで見える。
焼けたビルと、ところどころにバラック建ての家。

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