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トップページ原爆の絵負傷者を船で運ぶ

原爆の絵

識別コード GE29-44
絵の内容 負傷者を船で運ぶ
作者名(カナ) 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ)
作者名(英語) Miyako Sadatoku
当時の年齢 33歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)12:00頃
情景場所 広島港、宇品市営桟橋
情景場所旧町名 宇品町
情景場所現町名 宇品海岸
爆心地からの距離 4,700m
ブロック別 皆実・宇品地区
作者による説明 **絵の中
昭和20年8月6日正后頃
宇品市営桟橋及び沖あい附近
此の正后だと云ふはっきりとした時間のわかった訳は戦時中呉の海軍へ軍属として勤めて居られた方が「僕は丁度8月6日此處へ応援に来て桟橋へ来る被爆者を何杯も何杯も似之島へ送ったものだと申されましたのでわかりました
似之島
軽傷の被爆者たち
宇品市営桟橋
トラックで運ばれた被爆者はこヽで重軽傷に分けられた。そして重傷はこヽに止り軽傷者は似之島へ小舟で運ばれた。
私は左膝に深さ一糎半、横五、六糎の怪我をして血が沢山出て居ました。
それで重傷かと思いましたら「それ位のことで!」と係の兵隊さんは申しました。
**裏
貞徳ミヤコ
サイズ(cm) 38.5×54
展示の説明文

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